糸魚川大火から思う事①

第四銀行脇にある七福神。写真は11月のものですが、被害には遭わずでした。
商店街を中心に150軒も罹災し大惨事となった糸魚川大火。
今日、いといがわバル街実行委員長へ大変な時期とは承知しつつもお見舞いへ行ってきました。

事務局を担う小島さんが案内してくださり、現場へ入って行きます。
徐々に変わり果てた光景が目に入ってきます。
すでに3日も経っていますが、まだ焦げ臭も漂います…。

罹災した実行委員長宅…。
RC3階建てですが、3階の窓から火が入ってしまい、構造物は残っているものの住まいとしての再生は困難です。
こちらの建物が防火壁となったのか隣家は無事でした。
ただ、お店だけは免れていて、それだけが救いかと。

その後、七福神が所々に設置されているアーケードのあるメイン商店街(加賀の井酒造さま含む)から、そして日本海側へ向かい大火の灰となってしまった広域な現場は火と風の怖さを目の当たりにさせられました。















小島さんから出火現場からの飛び火位置、そしていたずらのように風の向きによって火の粉が渡っていった流れを聞きました。
風は一方的ではなく、回遊し、日本海へ向けて、その後再び戻って来たと。
全く予測し得ない悪魔の手の様だったと…。

“まちづくり”に関わり、よその街へ視察をしてきて特に感じてきた『古い歴史を垣間見る街並み』に残念ながら戦火を受けた長岡には無い風情を羨ましく思ってきました。
また、ここ最近のブームの様にも耳にする『古民家再生』『リノベーション』
この動きはこのような災害時にどう影響してしまうのだろうか?と率直に不安を感じてしまいました。
今回の現場でも周辺は火の手が覆ったのに、新築の家屋はそのまま無事だったお宅があります。(防火用壁材?たまたま風が?真意はわかりませんが…)


私は中越地震を経験した後の視察先の長屋、小径の迷路みたいな街には災害時の心配をしてしまう自分がいます。
新しく、レトロ時代を感じさせられる街並み を創る事はそれなりに耐火構造、設備など今の進化した素材と手工があるのかもしれませんし、現在の中心市街地に建造物構造の法律が決まっていることも納得をせざるを得ないわけです。

とても複雑な思いで現場を後にしました。

実行委員長とはお会いすることも出来ました。
他の罹災された店舗さんも「再生するから!」と元気に声を上げていらっしゃるとお聞きしました。

街が変わるということは、みなさんの心の中で複雑で、時間ととてつもないエネルギーを使いこれからが、大変な状況となるかとお察ししますが、どうぞ何でもいいです。会いたいとか、でも!
必要なときは遠慮無く声をかけてくださいね!
バル街メンバーの皆さまも!です。

皆さんの街を再生!応援しております!!







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